コンテンツへスキップ

12月某日、出雲市南部の山沿いの古墳を見て回りました。
自分の住んでいるところは出雲市の平野中央部、弥生時代ごろは神門の海の中だったところですが、古墳や神社は山沿いのかつて陸地と海の境界だった周辺にあるようです。

出雲市パンフレット(放れ山古墳)

 

放れ山古墳
放れ山古墳

 

放れ山古墳入口
妙蓮寺山古墳

玄室は漏水があるらしく、水たまりができていた。
見学してから外へ出るとき、水たまりを避けて飛んだら古墳入口に頭突きをしてしまった。目から☆が出るやら、頭頂にたんこぶができるやら
観音開きの石扉が特徴

 

宝塚古墳

宝塚古墳内部石棺

立派な石棺で、横腹が開口していて内部が覗ける。横から出し入れしたか?
ここではスライディング。ズボンが泥だらけ。

大梶古墳

墳丘は削り取られていて、石棺の枠が見えている。中は埋め戻してある。

いずれの古墳も周囲にこの地区の住民の墓があるところから考えると、村の族長の墓というところか。海が埋まって、水田開発が進んで、農業生産力が増加して、族長に権力財力集中といったところか。

昨夜寝ぼけてみていたBSの番組によると、日本人の遺伝子は3重構造らしい。
従来の縄文人+弥生渡来人というのに加えて、古墳時代に70パーセントの外来遺伝子が入っているらしい。弥生は東北アジア、古墳は広範囲にインドから中国南部?の方から来ているらしい。実に吹き溜まりだなあ。科学には勝てない。
多くの歴史学者も困るのではないか。古墳時代に激変があったとは。どういうこった。

畑をしたことのある人ならすぐわかる豌豆(えんどう)の弦である。大きさの違いはあるが野草のカラスノエンドウなどと形は同じかな。
写真は弦がほぼ成長した状態で、らせんが出来上がりつつある。
これが若いときは筋のように直線状で、成長するにしたがってらせんになるのだが、たぶん外側が内側より成長が速いのでらせんになるのだろうとおもう。
成長過程で接触するものがあれば絡みつき、全体を支える役をすることになる。
なんだか弦の先に目が有り絡む相手を探しているように見えなくもない。
今更ながらうまくできた形、構造物だと思う。

養老孟子氏が今地球上に生きている生物は地球46億年の歴史の解答であると何処かの小学生に話しておられたが、まさしくこれは良い解答かも。
ついでに自分も解答の一部ということになるが、個人的にはあまりまともな解答とはおもえないのだが、存在している以上、回答には違いない。
オロカなりしか我が人生。

 

(1)NHKBSの番組より。南太平洋の人々が肥満気味なのは、人類がアフリカで発生してアジア経由で南太平洋の島々に移り住むとき、脂肪を溜め込む遺伝子を持っている者が厳しい航海を生き残り、後に安定生活に入った為という。なるほど、自分が肥満気味なのは航海者遺伝子を引き継いでいるのかも。しかし、今から旅にでるのもなあ。

(2)同じくNHKBS番組より。粘菌は賢い。脳に代わるような機能を持っているという話。一般植物も根に当たる部分が脳に当たる機能を持っているのだとか。根が進む方向を探索する様子が倍速カメラで見られた。鉢植えの植物は鉢に頭を突っ込んで、生殖器(花)を上に出しているようなものだというわけで、イタリアの学者が植木鉢に人形を逆さに突っ込んで飾っていた。仏壇に切花(脳ナシ生殖器か?)

(3)選挙が終わった。気候変動がほとんど争点にならなかったのはこの件では票が集まらないからか?なんだかおめでたすぎるとおもうのだが。この先、子孫の生活が危ういときに、自分の生活がとりあえず保たれればいいというのが一般的日本人の感覚か?こういうのを楽観的というのだろうか?

 

出雲市別所町
現在名:諏訪神社
主祭神:武御名方命、八束水臣津野命

意保美社の南2.5kmほど山に入ったところ。
鰐淵寺駐車場から更に登ったところ。

鳥居
本殿
本殿
扁額

タケミナカタはオオクニの子神、国譲りの時タケミカヅチに追われて信州諏訪まで逃げて、そこに祭られたことになっている。信州の神様がこんな山奥に祭られているのは不思議な感じがするが、ここは鹿がたくさん住んでいて、猟も行われているので、何か関連があるかもしれない。
小さな社だが参拝者のメモを見ると遠くからの参拝者も。

苔むした参道

参道は苔でびっしりとおおわれている。紫の花はタツナミソウであろうか。心が和む。

出雲市河下町
現在名:意保美神社
主祭神:猿田彦之大神、天鈿女之大神

奥宇賀神社の西1kmほど。河下港の間近。

鳥居
由緒

猿田彦(サルタヒコ)はニニギノミコト降臨の案内役。
天鈿女(アマノウズメ)は岩戸の前で舞った神。両神ともに伊勢にルーツがあるとか。やはり漁に関係があるのか。

拝殿
本殿
漁社

漁港が近いので、大綿津見神、鳥之石楠船神。
山も近いので、大山祇大神、賽の神も。

出雲市奥宇賀町
現在名:奥宇賀神社
主祭神:経津主命、武甕槌命、天照大神、大己貴命、武内宿祢、伏雷神

宇賀神社の西方2kmほどのところ。十六島湾まで1km。
北山を反時計回りに裏側(北側)に出たことになる。
経津主命は古事記には登場しない神。武甕槌は稲佐の浜でオオクニと国譲りの交渉をした神。武内宿祢は300歳近くまで生きたという。合祀してあるせいか神様も天孫系、国津神、多様だ。

鳥居
由緒
拝殿
本殿
参道方面を望む

出雲市口宇賀町
現在名:宇賀神社
主祭神:大己貴命、綾門姫命

縣神社の北2.5kmほどのところ、北山をぐるりと周って日本海に出る途中。

宇賀神社鳥居


由来
本殿
道祖神
荒神

オオクニが当地の姫、綾門姫に求婚したとき、「女神肯ひたまはずして逃げ隠りたまひき。・・・」あちこち探して、当地で見つけたということか。
近くに黄泉の穴あり。夢にこの磯の窟のほとりに至るものは必ず死ぬという。
こちらのほうが、元祖黄泉の穴ということか?

出雲市国富町
現在名:縣(あがた)神社
主祭神:若帯彦命 (13成務天皇)

美談社の北方1km若のところにあり。
431号線に鳥居があり、そこから参道が続く。

緩やかな坂の参道
文字どうり獅子鼻の狛犬
本殿

配祀神に誉田別命(応神天皇)、息長足姫命(神功皇后)とあるのは八幡神社の特徴だろうか。
神功皇后は身重で自ら朝鮮出兵した皇后。帯で腹を縛って出産を遅らせたとか。
えらいこっちゃ。

木佐家要石大神扁額
要石

縣社の東北にある木佐家の要石。くにびきで引き寄せた島が要石で大地に固定されているとか。国富の地名はもとは国留の意味だとか。
司馬遼太郎が子供の時、石をまたいで、おばあさんに「根が生えているかもしれんものをまたいではいけない」というような意味で叱られたという話を書いておられたような・・・。うろ覚えである。

出雲市美談町
現在名:美談(みだみ)神社
主祭神:経津主命(フツヌシ)、息長足姫命(オキナガタラシヒメ)、武甕槌命(タケミカヅチ)、比女遅命

都我利神社の1km北東、北山縁沿い。

鳥居

鳥居の前の道路は頻繁に通ったが、初めて中に入ってみた。

拝殿
本殿
扁額

フツヌシ、タケミカヅチは国譲りの舞台での高天原からの使者。
社名が交錯しているのは合祀の為か。

出雲市西林木町山持
主祭神:阿知須枳高日子根命(アジスキタカヒコネ)
現在名:都我利神社

伊努社の1.5kmほど東の北山縁

都我利神社上り口
扁額
神社より南側を望む

斐伊川土手が間近に見える。これが風土記当時はなかったことになる?
山持遺跡、青木遺跡はすぐ下だ。弩の模型やら朝鮮半島の土器など出土している。

荒神

竜の頭がユニークだ。
神社の裏に義民の碑があった。

義民中島治兵の由来
中島治兵の碑

江戸時代、直訴した村民の代わりに打ち首になり、のち神格になった中島治兵。
自分の現住所松寄下町(旧松寄下村)にも宅和伊助という義民がいて、不作に免税を直訴して打ち首、さらし首になっている。これまた神霊として丁重にまつられている。
江戸幕府は体制を守るためには容赦なくやったのだ。