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出雲市日下町
現在名:久佐加神社
祭神:大国主命、日子座王命(ヒコイマスミコノミコト)、他

来坂社への上り口から1kmほど東側の北山縁。
日子座王命は(9)開化天皇の御子で日下族の祖だそうです。このあたりを開拓されたのでしょうか。北山南縁には古い蔵付きの立派な家が並んでいます。

久佐加社
久佐加神社由緒
狛犬

なんとも立派な耳たぶです。
この狛犬は尻が着座していますが、これが一般的な姿勢でしょうね。

ところで、社の名前や祭神の名前に漢字が使われるが、この漢字自体に意味があるのだろうか?
久佐加は単にクサカという音に適当な漢字をあてがっただけのように思えるがどうなのだろう。クサカという地名ないし人名の音は漢字が中国からはいる前に既に存在して、漢字が入って後、文字をあてがったのではないか?
今は亡き関和彦さんが、講演で「風土記の地名に関して、漢字に騙されてはいけません」と言っておられたのを思い出す。
というわけで意味のありそうな漢字以外は勝手にカタカナ読みしておこう。

出雲市矢尾町
祭神 素戔嗚尊ほか
阿須伎社より4km東側、100mほど北山を登ったところに来阪(くさか)神社がある。スダジイの巨木が3本あり、出雲市内が眺望できる。

来阪神社
スダジイ 高さ30m 幹周り4.75m
南側を眺望
東側を眺望

東側の眺望中央ほぼ水平に走っているのが斐伊川。現在は東(左)に向かって宍道湖に流れ込んでいるが、風土記の時代には西(右)に向かって日本海に流れていたらしい。川跡(かわと)とか遙堪(ようかん)とかいう地名が残っている。いかにも水を満々と湛えるという感じが出ている。この水域を通じて海外とも交易がおこなわれていたようである。
増尾敏弘氏は斐伊川をナイル川に例えて、写真右側(左岸)に死者の領域、西谷墳墓群(ピラミッドに対応)、左側(右岸)に生活者の領域があったのではないかとしている。

スサノオの腰掛岩

出雲大社の2kmほど東側。北山の南縁沿いに並んだ神社の一社。
祭神は阿遅須枳高日子根命(アジスキタカヒコネ)。
大国主の長男に当たるらしい。
名前の通り(スキ)鋤、鍬の神様だ。農業振興に貢献されたらしい。
系図があったりすると実在した人物(神)のように思えるが。

本殿
本殿(裏ヨリ)
由緒書
荒神

奈良県五條市に出張した際、隣の御所市の高鴨神社に立ち寄ったことがある。
ここの祭神もアジスキタカヒコネであった。社殿は赤塗で大社造とは違っていたように記憶している。

プチ終活ということで、長年溜まっていた本やら、食器、子育て道具等々をまとめて廃棄した。全部で1トンは軽く超えたであろう。処理場で繰り返し投げ捨てていたら右肘がやられてしまった。何か月も治らないので医者に診てもらうと、一目で「テニス肘です。使わないようにするしかありません」と言われた。
上等な病名をいただいたので、なんだかうれしくなって湿布も痛み止めも不要といって帰った。

stay homeとやらで、畑以外は外出しにくい。小人閑居して不善をなす。悪いことを考える前にマスクせずに出かけられるところを探す。
増尾敏弘という人が書いた「出雲神社探訪」を思い出す。出雲国風土記記載の399社を全部周って取材したもの。著者は岡山の物理の先生らしい。
ということでさしあたり、出雲市坂浦町の鞆前神社へ向かう。楯縫郡

途中峠より小伊津の港を望む
鞆前神社 主祭神:素戔嗚尊
本殿
狛犬 尻上がりが独特
海岸の神社には何処にもある海藻(まじない?)
荒神
神社より坂浦港を望む

ここ4日ほどで20社を回ることができた。共通して感じるのは必ず巨木が境内に存在すること。人がいないのはウイルス騒ぎのせいだけでもあるまい。

新ウィルスの流行で世の中随分騒がしいが、経済状態は既に昨年末から下降気味で、当方も例外ではなく、至って暇である。感染者の有無を県別に記したものを見ると、ひがみかもしれないがグローバル度の低い県程流行がないように思える。人の行き来を考えれば当然のことかもしれない。普段グロ-バル化が現代の必須条件のように言われるが、遅れていることがこのように安全をもたらす場合もあるのではないか。ジェット機をぶんぶん飛ばして大量の旅客をまき散らすのもちと考え直したほうがいいのでは?
暇なので半世紀前に読んだ漱石を読み直してみた。山陰中央新報で連載している「草枕」を手始めに「門」、「それから」。十代のモラトリアム状態で読んだときと違って、読んでいて随分と気軽だ。これから人生を選択しなくてはいけないときと、殆ど残りを埋めていくだけの時の違いだろうか。
「門」では安之助という少々山っ気のある人物が登場して、月島のあたりに工場を構えて、石油発動機を鰹船につけて一儲けしようというとしたり、電気式のインキロールなどとよくわからないものまで登場する。漱石さんもかなり最新の機械のことを勉強していたようだ。光の圧力で登場する寺田寅彦は「三四郎」だったかいな。

昼にそばをゆでてすすっていたら、ラジオから "When Sunny gets blue"のピアノが流れてきた。
この時間には亡くなった人の音楽がかかることが多いので、もしやと思って調べたら、やはりMcCOY TYNER死すのニュースが入っていた。
82歳だったそうだ。
若いころのスタンダードのバラード、殊にコルトレーンのバラードの伴奏は素晴らしかった。
それとは別にオリジナルのテーマには全く違った力強い趣がありました。
ほとんど手癖ではないかと思える右手の連打も、翁の手にかかると不思議と独特の宇宙観を醸し出すのだ。アントニオカルロスジョビンのウエーブなど全く別の宇宙でしたね。
さようなら。ありがとう。
He left the planet. But his music is forever. (you tube のコメントより)

新しい元号が発表された。令和だと。
アメリカの雑誌に短く記事が載っていた。
UNVEILED
Reiwa, as the name of Japan's new imperial era, by the Japanese government, on April 1. It officially translates as " beautiful harmony".
公式には「美しい調和」という意味らしい。
令夫人、令嬢についている令は美しいという形容詞か。
思いつくのは「巧言令色鮮し仁」という誰もが知っている論語だったかな。
これはあまりいいイメージではないなあ。
「朝令暮改」 これは命令という方の意味、当初海外にはこっちの方で伝わったという報告もあったなあ。
平成の改元の時はHEISEIの音 E-Eが印象が悪いとかいう人もいたが、なれてしまえばどうということはなかった。平成に生まれた我が娘は気にしてA-O-Oつなぎにしたことを思い出す。
美しくなくてもいいからまともな時代になってもらいたいものです。



11月5日
奈良県桜井市纏向(まきむく)の墳墓巡り。
以前から歩いて、肉眼で見てみたいと思っていた墳墓群。
纏向は3世紀頃の墳墓が密集した地帯だ。


左ホケノ山古墳(墳墓)右箸墓古墳(墳墓)
ホケノ山はホタテ貝の形をしていて、石葺きになっている。
西谷の四隅突出墳墓も石葺きだったなあ。

 


失礼してホケノ山古墳に登らせていただき奥の箸墓古墳(墳墓)をワンショット
手前も古墳らしい。

箸墓古墳の礼拝書
倭迹迹日百襲姫命大市墓とあり、宮内庁の管轄らしい。
卑弥呼の墓の説あり。

 

纏向遺跡
3棟を建物柱穴後に柱が復元してある。
奥側が出雲大社風宮殿、中が伊勢神宮風棟柱付倉庫風(失礼)建物。
桃の種やら出たらしい。
この一帯はしばらくして置き去りにされたのだとか。
この他にも石塚、矢塚、勝山といった墓が周辺に密集している。
総歩数13000、草焼きの煙を眺めながらコンビニでパンとスープをすすってから去る。

9月末日、奈良県五條市に機械の納入に行く。ことのほか順調にいったので、帰りに寄り道をすることに。相方の希望により東大寺大仏殿を観光。自分としては中学の修学旅行依頼だから、半世紀とちょっと。

さすがにでかいです。50年前と違って、周りはほとんど外国人でかろうじて少しの修学旅行生がいる程度。中国語、ポルトガル語(らしきもの)が聞こえる。

大仏殿の内部、大仏の下のアゲハ蝶らしき飾り。
何か違和感を感じた。そうです。脚が8本。何たることか。仏の使いは脚も多いのか?
それとも匠に昆虫の知識がなかったのか?吸い口も位置も少し違うようなきもするなあ。

昼下がり、椅子に座ってぼんやり庭を眺めていた。
突然空からカネンマ(コガネムシ)が垂直に墜落してきた。
鳥に襲われたか、それとも猛暑で気を失ったか。
しばらくして正気に返ったか、ゴソゴソとあがき始めた。
あいにくあおむけだったので6本の足は空を切って、空回りするばかりだ。
体がひねれないので偶然足に何かが引っ掛かるのを待つだけだ。
それでも何とか表に向き直って、しばらくすると思い切ったように羽音を立てて飛び去った。
なぜか、特別なものを目撃したような気がして、一人でにやけた。

今年の初めごろから、このサイトにいっちょ前に不審なコメントが相次ぎ、往生した。
一時間置きにメールを送信してくるのである。内容はバイアグラとか名前も知らない薬品の宣伝だが、gメールで送ってくるので正体不明、毎回アドレスを変えてくる。
コメント拒否にしたら、今度は写真につけて送ってくる。いやがらせだ。
というわけで、以来一切コメントは拒否にしたので、悪しからず。
暇で悪い奴が世の中にはいるものだ。