コンテンツへスキップ

スセリヒメはスサノオの娘、大国主の試練を助けてのちに正妻となった姫である。
その出生地が出雲市の神西湖の南側に位置するナメサの里あたりということになっている。いつか行こうと思っていたが、ようやく思いついて出かけてみた。

岩坪明神
岩坪明神
スセリ姫が産湯を使ったという窪み
スセリ姫が産湯を使ったという窪み

 

残念ながら岩坪は流砂で埋まって形がよくわからない。
大国主は女好き?で日本海側あちこちに姫がいたようだ。
越の国のヌナカハ姫、九州にも誰かいたなあ。
因幡にはヤガミ姫という姫がいて、懐妊して、大国のいる国へ訪ねてきたけれども、正妻のスセリ姫が大変に嫉妬深かったようで恐れて斐川町の御井というところで生んで木の又に子をかけたのだったかなあ。
DSCF3877

神話の地名がそのまま残っているので色々妄想を掻き立てられる。

 

 

株は下がるし、円高は進む、どうやら日本の経済は日銀や政府の思惑通りには動いてくれないようだ。東さんさぞかし歯がゆい思いをしているのではとお察しいたします。
経済学というのはどういうことをやるのか、いまだかつて接点がないのでわからないが、想像できるのは金と物の流れを数学などを駆使して予測することも含まれるのではないか。大型計算機などもシミュレーションに使うのだろうか。
どちらにしてもこれだけ外れるということから言えることは、現段階では気象予報の足元にも及ばない、あてどもないものだということだ。
中国やら、アメリカの日本より規模の大きい経済の影響が大きすぎて思うようにならないというのも一つの言い訳だ。人の心が読めないというのも言い訳だ。
結局のところ、景気というのもは、波のように上がり下がり、いい時が続けば次は悪い時期がくる。風任せのようなもの?それを被害が少なくなるように補助的にコントロールするのが政府の役目?
国の借金に深く・深く・深く・思いを致しながら・・・・

 

あけましておめでとうございます。
30日まで電気保持炉の入替改造工事をしていました。ほぼ予定通り終了して、取り敢えず安堵。とび職のチームの手際の良さに感動しました。あれはなんというかサイズは大きいけれども、外科医の手術にも似たような印象を受けました。特に工場内の狭い空間に重機を使って仮櫓を組んで、設備を運んで、また分解する手際の良さはまさしく計算しつくされた外科医の手際でした。
年の終わりにいいものを見せてもらい得した気分です。
1月2日 天気もいいし、体調もまずまずなので出雲の聖地神名火山に登ってみることにしました。銅剣、銅鐸、銅矛の大量出土で有名な荒神谷遺跡のすぐ南側の山、今は仏教山と呼ばれている。戦国時代に寺を建てた武将がいて、こういう名前になったようです。

DSCF3781                   神名火山頂より出雲平野(西)を望む

向かいの山が島根半島北山。横一文字が暴れ川斐伊川です。かなたには日本海も。
標高400m足らずですが、狼煙を上げる山であったようです。

DSCF3779
山頂磐座

古代人が神の宿った岩として祭っていたものか。三輪山の磐座は撮影禁止であったが、ここはそれはない。おおらかである。

 帰り道、神話にも出てくる止屋の渕に立ち寄ってみました。
大和から大国主の宝を渡すように乞われた兄弟の弟が、兄が九州(?)に出張で留守の間に渡してしまい、怒った兄が弟を誘いだして惨殺した場所だとか。

DSCF3789

DSCF3790

正月にはふさわしくない題材でしたかね。ま、こらえてくださいませ。
それでは今年も無理せずぼちぼち行きましょう。

DSCF3648門跡

DSCF3653
天守跡

城址というぐらいだから残っているのは石垣だけでした。
幕末に長州が攻めてきて、病気だった若い城主は自ら城に火を付けて松江城に逃走したのだとか。建造当時は三層の立派な城で、海から眺めた宣教師も感嘆したとか。
平日だったのでここまで上る人は少なかった。草の生え具合から察するところ普段も賑やかということはなさそうだ。桜の季節にはにぎわうのかなあ。
この台座には砲弾が飾ってあったそうですが、これも銅像と同じく供出されたようです。

DSCF3655天守跡から見える港

江戸時代、竹島経由で朝鮮と密貿易をした会津屋八衛門という商人がいたそうです。斬首だったとか。
水戸黄門様が出てきそうな話ではあるなあ。

DSCF3651日本海を望む

この海から逆方向に、宣教師が望遠鏡かなんかで天守を覗いたのだろうか。
全然話は違うけど、ボサノバの小野リサの爺さんも浜田連隊に所属していたといつか雲南のコンサートで言っていたなあ。10年も前の話だ。

というわけで、おさかなセンターで買った(あかてん)を抱え、途中温泉津(ゆのつ)温泉につかり、眠気と闘いながら出雲へ帰る。あかてんはうまかった。

 DSCF3639 浜田護国神社敷地内木口小平像
DSCF3641同上

「えーか、お前やつ。
浜田連隊の木口小平はなあ、
敵の弾が中って死んでもなあ、
ラッパを離さんだったんだぞ。
お前やつも死んだつもりで吹け!」

これは自分が中学生のころ吹奏楽部で受けた訓戒の言葉である。
何故か半世紀を経たいまだに記憶に生々しい。
先日偶さかに浜田城へ行ってみようとて、駐車場でその木口小平の像と遭遇したのである。
もともとは昭和7年に歩兵第21連隊で建てられたものらしいが、昭和25年に浜田護国神社に移設されたものらしい。しかし、その時はどうやら銅像は供出されて台座だけだったようだ。
それを昭和36年に日本郷友連盟という団体が再建したのがこの写真の銅像ということのようだ。

喇叭手木口小平君岡山県川上郡成羽町人也 明治二十七年清国構事於□林也 君受充員之命来属我連隊□・・・・・・・・・・・・・・ 皇軍出征連隊始戦□成歓也 敵兵抗戦最激第十二中隊長松崎大尉挺進奮戦遂傷□弾□而叱咤命進声不絶於口而倒 君奉命吹奏突撃之譜以鼓士気 遇一弾飛来貫其喉頭而君不少屈一声則高一声則低一声 時断而復続既而気力将声努而一吹殷血迸出於喇叭口者如花而絶□而猶堅執喇叭不離之於口也 □偉哉其忠誠之志也□烈哉其責任之念也・・・・・・・・・・皇運者永世不泯也我曹之微志亦可以酬□
昭和七年四月   歩兵第二十一連隊長   荒川眞郷
(碑文より抜粋)

漢文は読めないけれど、字を眺めているだけで雰囲気が伝わってくるのは漢字の象形文字たる特質でしょうか。日清戦争、成歓にて傷ついた司令官の命を受けて進軍ラッパ(喇叭)を吹き、のどに被弾したのちも喇叭の朝顔から血が噴き出して花の様になっても、まだ口からラッパを離さなかったのはなんと立派な忠誠心、責任感であろうか・・・・という感じかな。

続いて戦後昭和三十六年の銅像再建の趣旨碑文より

木口小平之像再建の趣旨
夫れ鋒鏑砲火の下に万創を被り諦観して従容死に就くは寧ろ易なり。身に致命の一弾を受けて尚屈せず毅然として職責を守るは難中の難なり。古来義を行い斃るる後已むを勇士となす。
日清戦争役成歓牙山の戦斗に於て我が浜田連隊の喇叭手木口小平勇士に飛弾咽喉を貫ぬき熱血口腔に溢れて尚已まず勇を鼓して起ち昂然として喇叭手の本領を守り気息絶えて尚且つ其の姿勢を崩さずと。その□□たる気概其の耿耿たる赤誠古来の偉人名将のそれと何逕庭あらんや。遮莫這次大戦末期旧銅像雄々しくも応召礎石空しく藁萊の間に没することここに十有余年に及ぶ。惟うに世を挙げて滔々たる唯物利己の時流に溺れ道義頽廃して責任観念蕩然として地を払わんとする秋、勇士の偉烈を追慕欽仰すると共に之れを顕彰讃揚し以て国民道義の昂揚に資せんが為篤志の浄財を以て浜田護国神社の聖域を卜し銅像を再建して当時の融資を象徴し永く後昆に伝えて児孫百代の亀鑑たらしめんとす。
茲に謹みて銅像再建の趣旨を誌す。
昭和三十六年十一月吉祥

社団法人日本郷友連盟島根県支部会長  古東要

あー疲れた。
半世紀余り前に、道義が廃れたのを嘆いておられるが、今の世の中をのぞかれたら会長さん多分ひっくり返るのではないだろうか。
興ざめだが、ラッパを口から離さなかったのは単に死後硬直という説もあるようだ。おっと先人を侮辱するようなことは慎まなければ。

続いて再建趣旨の英訳分が続く。なぜ英訳が必要なのか?

Purport of Erecting the Statue Hero Kohei Kiguchi

 It is rather easy for warriors to die composedly under enemy fire, but it is the most difficult deed to discharge their duties to the moment of death firmly.
From older days, he who died for justice's sake has been honored and worshipped as a hero. In the battle of Seikan Gazan fought in the Sino Japanese War in 1894, Kohei Kiguchi a bugler of the Hamada Infantry Regiment was severely wounded by a bullet which pierced his throat and the blood gushed to his mouth.
Inspite of this, mustering all his strength he managed to stand up and continued his duty as a bugler with the bugle still firmly pressed against his mouth when he breathed his last.
A man of such sense of responsibility and braery cannot help but be admired and cannot and must not be forgotten for ever.
Well it has passed years more since the old statue of his was contrubuted to the Nation.
At a time when materialism and egoism is sweeping the world and morality and sense of responsibility are about to be forgotten, we deem it most appropriate to erect his statue of our hero Kohei Kiguchi in the sacred precinct of the Hamada Gokoku Shrine by general contribution of our fellow citizens dedicating it to his memory and praise and posterity with the hope that may serve to elevate the morality of the nation.
With deepest reverence I hereby inscribe the purport of the statue this 23rd day of November 1961.
On behalf of the promoters.

Kaname Koto
Chairman Shimane Prefecture Branch,
Juridical Association Nippon Goyu Renmei
-translated by Kojin Ishibashi

因みに胃腸薬正露丸のラッパのマークは木口小平のラッパがモデルになっているとかいないとか。もとは日露戦争の時、ロシアを征するというので、征露丸といったのだとか。
ところで木口小平の話は戦前まで尋常小学校の修身教科書に載っていたのだそうです。

キグチコヘイ ハ
テキ ノ タマ ニ
アタリマシタ ガ
シンデモ ラッパ ヲ
クチ カラ ハナシマセンデシタ

DSCF3657浜田護国神社

神社の参道の右手に木口小平銅像、右手奥の山が浜田城址

4日間ほどペットを預かることになった。アンデスの歌うネズミという。正式にはデグーというらしい。
握りこぶしぐらいの大きさで、籠の中に運動用の車と巣と水飲みポットなどと一緒にやってきた。
猫がいるので襲われないかと心配したが、少しぼんやりした猫で、戸を自分であけることもしないので用心してなんとか預かっている間気づかれずに済んだ。
直径4mm、長さ10mm程の餌を一日16個というので、ほぼ2時間おきに餌やりだ。ちょうど2個両側の頬に入るらしくて、2個目を出すまで待っている。1回少し短いのがあったので、3個目を出すと、どうしていいかわからないのか、うれしくてたまらないのかモゴモゴとか鳴いて固まってしまった。かわいいもんである。
1匹なので退屈しないかと心配したが、車の中で走ってぐるぐる回したり、藁を食ったり結構忙しそうだ。
車をぐるぐる回しているのを見ていたら、チベットのマニ車を思い出した。ぐるぐる、ぐるぐる無心に回していたら、そのうち悟りでも開けるか。回転するものには何か不思議な力があるような気がしますね。
夜中に目がさえてテレビをつけたら、哺乳類の進化の話。哺乳類も最初は卵で産んでいたのだが、ウイルスが遺伝子に入り込むことにより、胎盤というものができて、親と同じ形で産むようになったとか。
生物の進化にはウィルスが重要な役割を果たしているらしい。人間のゲノムの10パーセントはウィルス起源というから進化の過程で何回かそういう出来事があったのでしょうかね。これは突然やってくる変化ですなあ。
エボラ出血熱のウィルスも確か完治後も精子の中に生き残っていて、再感染したような話も聞いた。
そのうちエボラ起源の新人類発生とか・・・・・・・。

聞くところによると、運悪く痴呆症になったとしても、相手の感情を認識する能力はかなり症状が進んでも残るらしい。 脳みそがかなり劣化しても、顔面の表情、つまり目や眉、口の形、配列によって相手方の気持ちの有り様を判定する能力は残るというわけだ。介護施設などで老人に対応するのに顔の表情が重要なポイントだということ。 そこでまずは鏡に向かって飛び切りの笑顔を作ってみるが、とても気持ち悪くて耐えられない。 次に飼い猫向かって、思い切り破願、にっこり、目はあくまでも細く垂れ下がり、口は歯むき出しで大きく口唇を左右に引き、にっこり・・・ 飼い猫は見たところ、敵意は感じていないようだが、どう対応していいかわからないような表情だ。 猫に顔面配列から相手の感情を認識する能力があるか否か、今のところ不明である。 因みに自分の今の飼い猫の能力に対する評価は低いが、一つだけ高得点をつけている点がある。 それは、空間に対する認知能力と、記憶力である。 内の馬鹿猫にも我が家の隅々まで、どこに何があるという3dデータが、どうやら正確にインプットされているらしい。たまに新しい空間データ、たとえばお土産の大袋などが来ると、頻りと顔を突っ込んで点検を開始する。 猫は脳みその空間を認識する部位が発達しているのであろうか。 勝手な同居人(猫)は案外気楽な同居人である。餌さえ適当にやっておれば、なんとか関係が保てる。

どうやら松江城が国宝に格上げされそうだ。
以前から関係者がいろいろ努力されていたらしいが、決め手になったのが500万円の懸賞付きで捜索に出されていた城の竣工の時の祈祷札2枚らしい。祈祷札には竣工の年号が書かれており、城の年代を特定するうえで貴重な証拠となるものであるらしい。なんでも札に開いている釘穴と城本体の穴がピタリ一致したとか。500万円の賞金はどうなったかというと、発見者が松江市の職員で勤務中であったため、なかったことになったらしく、幹部さんたちはほっと胸をなでおろしたとか。
その昔、世の中が今みたいに明るくなかった頃、どういうわけか洋館、興雲閣の近くに小さな動物園のようなものがあって、ニホンザルの小屋もあった。鉛色の冬空のもと、一時期この猿小屋を通り道にしていたことがあり、ずいぶんと足しげく通った。あるとき一匹の猿が自分のほうを見て口をパクパクするので自分もまねをして口パクパクをした。猿と人とのくちパクごっこである。
のちに何とか霊長類研究所の本を読んでいたら、猿の口パクは求愛行為と書いてあり、複雑な気分になった。あれはメス猿だったのだろうか。そこのところは記憶にない。

大社沖の日本海に海上自衛隊のヘリコプター搭載型護衛艦いずもが来ているというので、さっそく野次馬根性を発揮して見てきた。
出雲大社に遠慮したのか、浅くて近寄れないのかずいぶん沖のほうに停泊していた。まして梅雨時期なので空気が湿っていて、もやがかかっているのでぼんやりと幻の様に海に浮かんでいる。軍用艦のようには見えない。
まずは国譲りのいなさの浜よりみる。ちょうど真後ろから見るようになるらしく、逆三角形の船体が不安定に海に立っているように見える。
次に島根半島のほうに移動して日御碕との中間あたりで駐車して眺めてみる。まるで大きな箱が浮いているようだ。甲板に人らしき影が見える。
基準排水量19,500トン、全長248m、全幅38m、ヘリが最大14機搭載可能で同時に5機発着できるそうな。武器は大したものを積んでいなくて、その代り、病床35、トラック50台が積めるとか。津波のような災害時には救難船として役に立ちそうな仕様ではあるなあ。

DSCF3400
護衛艦いずもを島根半島側よりみる

それにしても平日は静かであろう半島の駐車場が人でいっぱいだ。年配の人が多いように見えるが、中には若い人も見える。福祉施設のマイクロバスまで来ている。やはり黒船だ。出店が出てもいい商売になるかも。

「おおけな船のようだが、遠てなんだかわからんのー」
「釣り船に乗って近寄ってみーとえかもっしえんで」
「しゃんことしたら撃たれーでね」
「まさか北朝鮮じゃあるまいし…」
「せっかくここまで来たけん御崎まで行って焼きイカでも食ってかえーか」

戦争に使う機会がないことをいのります。

約半世紀ぶりに長野県の松本駅に降り立った。当然のことだがあまりの変わりようにタイムスリップしたような気分になった。
その時は確か学校の春休みで、ふらふらと旅立ったような記憶だ。倶利伽羅峠で源平の古戦場を歩いたのち、糸魚川線を夜行列車で松本方面へ登って行ったような。記憶はいよいよあいまいだが、途中で夜中なのに溶鉱炉のようなものが左手に見えて、山の中なのにえらいにぎやかだと思った覚えがある。今調べれば大町あたりに昭和電工の工場があるからそれの火でも見えたのだろうか。
松本駅は当時木造だったとおもう。ダルマストーブがどんと置いてあって、夜明けまでそこで暖を取らして貰った。ありがたかったなあ。目が覚めると銀色に輝く山が四方に見えて文句なく感動した。
現在の駅はもちろん近代的な建物で似ても似つかない。周囲も高いビルが建って当時の様に峰々はのぞけない。
松本城も当時は老朽化で傾いて中に入れなかったような。

DSCF3311
松本城内から桜をのぞく。
時は4月15日ちょうど桜が満開で、中国、フランス、タイなど外国語が飛び交っていた。時代は変わりましたです。
腹が減ったので城の前のコンビニでサンドイッチを買って食う。スズメが2羽やってきて自分の顔を上目使いに見るので、切れ端を投げてやると喜んで食べた。スズメというのはこんなに人懐っこかったかいな、などと思いつつ去る。