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5月10日に60年ぶりの本殿遷座祭が執り行われた。
以来1か月にわたり奉祝行事が毎日毎日行われている。
何せ、全国からさまざまな芸能が奉納されるので見逃せない。
仕事の合間を縫って(?)参加したもの下記のごとし。
5月11日 奉幣祭
5月16日 出雲神楽
5月21日 津軽神楽
5月26日 倭式騎馬会騎弓(うまゆみ)
5月27日 小笠原流流鏑馬
5月28日 横綱日馬富士土俵入り(太刀持ち隠岐海、露払い安美錦)
小野雅楽会 雅楽<br>もちろん出雲神楽は何回も見た。
何せ神楽の太鼓の音が聞こえると興奮状態になる特殊体質なもので。
笛の音程とまったくずれたところで歌が合唱されるのがたまらんですね。
脳みそがくすぐられるというか。
このほかにも行きたいものが沢山あったが残念ながら割愛した。
60年ぶりといえば間違いなくこれが最後。
見なくては罰が当たるというものだ。
それにしても大社の神様はおおらかな神様だとおもう。

この頃の、といっても比較対象は数十年前かもしれないが、ラジオ、テレビのニュースの最後には必ず為替、株価の時価が伝えられる。   国民のどのくらいの割合の人が関心をもって聞いているのか知らないけれど、どうやらこの時代国民の生活やら企業の経営、国の財政に重大な影響をもたらすものらしい。 国を挙げて株価を上げようとあれこれ施策をしているようにさえ見える。 もはやこのような指数に「あたしゃ関心ありません」では非国民のようにいわれそうでおそろしい。 株は博打とは違うだろうけど、これだけで生きている人がたくさんいて、世の中を動かしていると思うと、困った世の中だと思う。 テレビが世の中に出たときに一億総ハクチになる心配をした人がいたらしいが、一億総博打うちにならないことを願います。

はうじん様
はうじん様は2年程前から家に住みついている。
はうじん様は飯はくわない。
飯は食わないが住んでいるので税金を取られる。
はうじん様は給料をくれる。
そのかわりはうじん様のために働かなくてはいけない。
はうじん様はみえない。
見えないけれど存在している。
日に日に一人歩きし始める。
はうじん様は寿命がない。
寿命はないけどお金が尽きたらおしまいだ。
だいじにだいじに扱わないと。

先日車の中で聞いたラジオで、どこかの微生物を研究している先生が、このようなことを言っていました。
「人間の体には何万種類の微生物が住みついています。」
人間の体をパイプに見立てれば表(表皮)と裏(腸管)の両側に数万種類の微生物が住んでいるというわけです。いわば微生物のジャングル、小宇宙というような感じだろうか。
自分の体に宇宙があると思えば愉快でもある。どんな美人でもミクロ的に見ればきれいな顔にもうじゃうじゃいるんで、もし見えたらどんな感情が起きるであろうか。百年の恋も冷めるかな。
畑のようなもんじゃないか。畑も健康な土壌には良い微生物がはびこる。良い作物ができる。
食べ物だってもちろん生物の残骸だからいろいろいるものを食べているのだろう。
地産地消、身土不二などというのも近くの慣れ親しんだ微生物のほうが遠隔地のものより生まれつき相性がいいから出てくることなのだろうかなあ。
消毒のため手洗いとかいうけど、どれだけ効果があるものだろうか。手だけ消毒しても体中にそれこそうじゃうじゃいるのだから。
きれい好きでは決してないので良い言い訳ができた。

1年間を通じて体重を測定してみた。
測定時間は夕方6時ごろ。出張などで測れないときを除けばほとんど毎日のように測った。その結果をエクセルで棒グラフにしてみると実に面白い。わかったこと。
1.トリガを取り除けば大体サインカーブに近い形に見える。
2.サインカーブのピークは春分、ボトムは秋分あたり。
3.ピークとボトムの差は3kgぐらい。
4.これは個人的な特徴かもしれないが、宿泊出張すると必ず+1~3kgのトリガが現れる。
すごい自然の摂理・・・と感心することもないのかな。
日照時間に連れて運動量が減り、気温の様に少しずれているだけのことだろうか。
まあ、普通冬になると肥えて、夏になると痩せるぐらいのことは誰でも思っていることだ。
しかし、外に出かけると肥えるというのはわからんなあ。
自分では体に水がたまるのではないかと思っているのだが。
その理由は1週間後には大体元のカーブに戻ること。
パソコンにへばりつきながらエネルギーを消費する方法はないものか。いくら神経を集中させても消費量にはあまり影響がないような気がする。
自然のままがいいか。

つまるところ、たたらというのは鉄と炭素の化け学ということになる。
西洋科学の入る前にこのような技術が培われていたことはすごいことだと思う。
2元素系平衡状態図とかいう葉っぱが伸びていくような絵を思い出す。
世の中この図のようにすべて予定通り決まっていくのかと思うとこれは神の仕業かと・・頭が痛くなったもんだ。
たたら師はすごい。しかしよく考えてみると、農業だって土と水と太陽の光でいろいろな作物を作るのでこれは立派な化け学ではないか。
農業が一番神に近い?なんだかんだしているうちに今年もくれなんとしている。
来年はどんな年になるか?神のみぞ知る。

金屋子神より古い話になるようですが、出雲国風土記に一つ目の鬼が出てきて農民を食い殺したという話があるそうです。農家の夫婦の息子を両親の見ているところで食い殺したというような話らしいですが、そもそも一つ目というのは鍛冶屋の象徴らしいです。たたらのような仕事をしていると必ず目がやられるからです。
したがってこの話は鉄を扱う技術者集団と農業集団との争いを暗示したものだという説もあるようだ。
そうだとすると、風土記が作られたのは8世紀のことですから、そのころにはこの地には製鉄集団がいたことになるが、本当でしょうかね。古事記のヤマタノオロチの話も製鉄の象徴だとする説もあるとか。
古墳から出る鉄剣はほとんど輸入品であるような気がしているので、ど素人ですが、この時代の当地の技術ははまだ未熟なものではなかったとおもうのですがいかがでしょうか。
話は飛んで、製鉄の先進地であるはずの中国や朝鮮ではたたらのような遺跡がほとんど見つかっていないらしい。スタートは遅いが、文化の吹き溜まり日本で独自に発展進化したものなのだろうか。
細々とでも続いているところがすごい。

たたら実習参加者の中に遠く北海道函館から参加されたS氏がおられた。
なんでもこの事業始まって以来10数年、参加者が津軽海峡を越えてあったのは今回が初めてとか。人生主に全国を車で道の駅に泊まりながら旅をしておられるそうで、九州なんかもう10回ぐらい周られたとか。北海道産昆布やら自作の鹿角アクセサリーなどいただいた。だんだん。
最近では四国八十八箇所をペットのポニー(馬)と周られたそうである。最初は一緒に歩いたのだけれど舗装した道が多くて歩きにくいので途中から軽トラに乗せて周ったのだとか。
写真を見せてもらったので間違いない。ちなみにポニーの名前はサラ(ブレッド)というのだそうです。
ついでに道の駅宿泊仲間では飯を炊いて食うようにならないと一人前ではないそうです。S氏自分はまだアマチュアだといっておられたが。
すごい人たちがいるもんです。

酒作りなどと同様、たたらも神事であるようだ。実習の作業場には常に神棚があり丁重に供え物がしてある。火入れ式はまさしく神事で、神官こそいなかったが、玉串を供え、二礼二拍手一礼で良い鉧が出ますようにお祈りする。
たたらの神様はなんと女神である。しかしあまり美しい神さんではなかったようだ。髪はばさばさで稲藁で束ねてあったとか。なんでも播磨の国のほうから白鷺にのってやってきて桂の木に止まっておられるところを、安部の某という猟師の犬が木が光るのを見つけて吠えるので、発見されたのだとか。そのまま村下(たたらの技師長)となって製鉄技術を伝承されたのだとか。
本来のたたらは5日サイクルで月6操業、年60操業されたものらしい。12計算が合わないのは梅雨時の2月は湿気を嫌い操業しなかったからである。
5日のうち3日間は不眠の作業になるらしいが、その間村下の妻は髪をばさばさにし、化粧はしなかったらしい。金屋子の女神の嫉妬を恐れたからである。
面白いことには金屋子の神が祭ってあるのはたたら場の下のほうである。それほど崇め奉られていたわけでもないのだろうか。
たたらを司るのが女神というのは、たたらの釜の形を思えば容易に連想される。釜は子宮なのかも。そして火入れ後最初に出るノロを初花といって餅のようなものを焼いて祝う。
die Kama なんちって。
金屋子神は死を好むといったような何とも怪しげなことも言われるようだ。たたら場の柱に死体をぶら下げておくと鉄の出来がよくなったというような。木火土金水の五行思想からきているようだ。隣り合わせの二つは相性よく、一つ飛ぶと相克しあうというやつかな。
死は土で鉄は金で土生金、というわけか。
あやしいなあ。じつにあやしい。

10月31日から11月4日まで5日間にわたり、雲南市吉田町和鋼生産研究開発施設で近代たたらの実習に参加しました。粘土と真砂を配合して炉をつくり、材料の砂鉄をふるいにかけ、炭を切り、まきをまさかりでわり、火入れをし、炭と砂鉄を交互に投入し、最後は1日徹夜の作業で、けら出しまで、実に充実したときを過ごすことができました。
スタッフ以外の実習生として参加したのは大手鉄鋼会社の新人社員3名、やはり鉄鋼会社のベテラン社員4名、リピーター2名、それに私のような物好き組と思しき人4名でした。
普段一人でごそごそしていることが多い身としては、実習生、スタッフ一緒になって、泥をこねたり、炭を切ったりする作業が新鮮で、作業のあいまの話が楽しく、気分が高揚するのを覚えました。ワーキングハイなどという言葉があるのかな。一昔前は土木作業でも農作業でもこうして人が集まって、歌でも歌いながら作業することが当たり前だったのだろう。現代人はある意味こうした高揚感の味わえる機会を失ってしまったのかも。
たたらが行われていた当時はこの職場は相撲の土俵と等しく女人禁制だったらしいが、今回は女性も男性と等しくかそれ以上に立ち働いておられたように思う。すごい、ふしぎ?
たたらの前に(近代)とついているゆえんは一つには釜の形にあるようだ。本来のたたらは全体を粘土と真砂を練ったもので作るらしいのだが、近代たたらは2分割された跳び箱形の鉄製枠があり、その内側と上に粘土と真砂で内貼りをして釜を作り上げる。したがって最後の工程では天井クレーンで各釜吊りあげることにより、釜を破壊することなくけら出しができるというわけである。
ちなみに(けら)とは金偏に母と書くらしい。鋼の材料、鉧だ