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去年は出雲地方には松枯れの嵐が吹き荒れて、山の松、築地松、庭の松を問わず、少し色がおかしいなと思う間もなく真黄色に変色、枯れていく姿がめだった。農薬空中散布をやめたからということも言われるが、そればかりでもあるまいと思う。
我が家の猫の額ほどの庭に植えられた松も例外ではなく、特に低いほうの枝が変色し始めたので、早めに切除手術を行った。結果はまだわからないが、何とか生きながらえているように見える。
さて、この庭松について、あまり穏やかではないが、枯れて喜んでる人もいるらしい。それは維持費がかかり、若い家族の家計を圧迫するからである。大きな松が1本あればまともに手入れを庭師さんに頼むと年に10万円前後かかるのだ。あまり興味もないのに、ご先祖が残した松なので仕方なく毎年お金をつぎ込んでいる人も多いはずだ。
自分の場合、おやじが植えたものを引き継ぎ、資金がないので、見よう見まね、自力でもう17年間枯らさずにやっている。そもそも生き物だから、あまりの無茶をしない限り枯れるということはあるまいと思ってやってきたが、慣れるまでには紆余曲折があった。
頼りにしたのは経験のある人から聞いたことで、とにかく初夏5,6月ごろ出た芽を全部チョキチョキ切り落とし、秋に新たに出た脇芽を2本ずつ残すという手法。これを唯一マニュアルとして数年やったが、当たり前のことで枝は等比級数的に増え、細くなり、ついには弱って枯れるところが出てきた。どこかおかしいと思い、それからは適当にゾーンに一定の本数が残るように切り落とすようにして何とか今がある。
日本人に特有とされる非対称の美学を松は体験させてくれるのだが、それと維持費とのせめぎあい。自分も体が動くうちは自力でやろうと思っているが、次世代は??。
花札の松のようにならんうちに成仏してもらうか。おこるだろうなあ・・・おやじ。

2012年1月3日<br>今年も年末から本日まで何事もなく平穏に過ぎ去った。喜ぶべきことかも。
2日に久々に本屋にいって古事記の解説本を1冊買ってきて読んだ。
今年は712年に古事記が完成してから1300年ということで島根県ではいろいろイベントが企画されているようで、本屋にも古事記コーナーができていてずらり並んでいた。
2年前から藤岡大拙先生の(古事記談義)という講座に月一で通っていて、今出雲の国譲りのところまで進んだところ。これから天孫降臨、神武東征、歴代天皇の話という風に進んでいく筈。
古事記は国史なのだが、これが国史と思わせるほど内容はおおらかだ。イザナギ、イザナミの国生みの話、天皇をめぐる覇権あらそい、恋愛沙汰。神様の話なのだが、いずれも人間的で親しみがもてる。
ところで出雲には古事記に出てくる地名やものがたくさん残っていておもしろい。イザナギが黄泉の国から逃げ帰った出口とか、おろちの飲んだ酒壺とか、スサノオがイナダ姫と持った新居のあととか、国譲りの現場とか、コトシロヌシが不本意ながら国譲りに合意して、逆手を打って海に隠れた場所とか、、、、きりがない。
これらのものは全部事実とまでは言わないが、まるっきり根拠のない後世の捏造ということはないと思うのだが、いかが思われますか。
タイムマシンでもできれば確認のしようもあるのだが、今のところどうしようもない。
「掘り出したものに〇〇年製と字が書いてある夢をよく見る」とある考古学の先生が言っておられた。それだけ歯がゆい分野なのだろう。今のところ神話に関しては何を言ってもOKの世界のようだ。否定しようにも賛成しようにも根拠となる材料がない。

2011年12月31日
今年のトップニュースといえばやはりなんといっても3月の震災に伴う福島原発の事故だろうと思う。あれほどもろい技術であったとはちょっと想像を超えていた。
話は大幅に飛んで40数年前にもどるが、昭和45年頃、自分は一人で静岡県の田子の浦の波止場に立っていた。海は赤く、泡がブクブクと上がっていた。製紙会社の排水で海が汚染されて腐りかけているのだった。いわゆる公害というやつで、何ともえらいことをするもんだと人間のやることに対して大きな不信感を抱いたものである。今は後片付けが進んだのかどうか、当時のようなことはないと思うが大変な手間がかかったことだろうと思う。
さて今回の原発事故はこれとは比べようもないほど大規模なもので、特にもとに戻るまでの時間のことを考えると気が遠くなる。被災された方々は突然全人生を狂わされたわけで、そのことを思うとかける言葉もない。やはり未完の制御技術であったというしかない。えらいことをしたものである。

2011年12月31日
年末は時間の余裕があるので普段しない風呂焚きをする。
家の庭に植えてある椎の木や柿木を春先に枝打ちしたものを斬って束ねておいたものが燃料だ。新聞紙を3枚ひねり巻にし、点火して細い枝を載せてしばらく待てば着火というのがいつもの行程だが、今年は気がせっているのか数回繰り返してやっと火が付いた。我慢が足らなかった。釜焚き失格。釜の前で、赤く燃える火を見ているのなんだか原始の記憶が蘇るような気がします。火悪さは楽しい。風呂に入っても下に火があるとなんだか芯まで温まるようなきがする。
ところで木材を燃料とするとCO2削減に貢献したことになるというのは本当だろうか。ガスを燃やしても、木材を燃やしてもCO2が出るのに違いはないのだが、産地が違うと評価も違うということか。石油や石炭、ガスは地下から。木材は地表でできたもの。石油は1度掘ったらおしまいだが、木材は繰り返し生産可能なものというわけか。
繰り返しやらないこの理屈も成り立たない。ま、理屈抜きで楽しいことではあるし、できる限り続けようとおもう。

2011年12月30日
7月から暇を見てある研削ラインの3d化を進めてきましたが、6か月400時間足らずを要して何とかほぼ完成しました。自画自賛ですが、完成したものを見るとよくぞやったという気持ちになります。半年ほどかかったわけですが、こればかりやっておれば2か月でできたでしょう。
これで目標としていたことの一つがとりあえず達成です。
現時点で3dに関して思うこと。
1. ゴムや蛇腹のような柔軟で且つ規則的な動きをする部材の3d表現をする方法がないものか。
2.モデリングは部品作り、組立はプラモデルの組立のような疑似感覚が体験できること。
3.2dにおける干渉検討といった想像を必要とする感覚が鈍っていくような気がします。
ま、生まれてこの方60年二つの目でこの世界を見て認識してきたのだから、3dのモニタに現出される世界のほうが理解しやすいのは当たりまえのことですね。2dの絵というのは記号のようなもので、実際のものとは程遠い。頭で変換して想像するしかない。逆に3dで製作の方法を示そうと思っても無理なようだし。
最近は時間軸まで含めた方向に向かいつつあるようでこの先どこまでついていけるのだろうか。まあそのうち寿命が尽きるだろうからそれでおしまい。同窓会で「木口小平は死んでもラッパを離さなかった。自分は死んでもマウスを離さない」などとわけのわからぬことをほざいたけれでも、そのうちマウスもなくなるだろうし、本当に展望のないバカな話だった。反省。

2011年12月08日
先日の山陰中央新報に、松江出身の哲学者中村元さんの記念館を作る動きがあると書いてありました。大変喜ばしいことだとおもいます。
仏教関連の著書が多いのですが、中に題名が素人受けするものがあり、20年ほど前に本屋に注文したことがあります。タイトルはシナ人の思惟方法というもので、インド人の思惟方法とかとシリーズになっていたように記憶します。
本屋から届いた旨電話で連絡がありました。そのときの某家族の聞き取りが「シナ人のシーホッホ」だったのです。
シーホッホという中国人の話だと受け取ったようです。とほほ。
いずれにしても郷土出身の大変な人ですから、記念館ができた暁には是非覗かしていただきたいと思います。恥ずかしながら。
因みに該当本は老後の読書のためにとってあります。

2011年11月19日
先日、といっても1か月も前の話ですが千葉の声の大きな坊さんの話を聞いてきました。
主要な話はさておき、講演にはつきものの客寄せ笑い話です。
最近の親で子供にこんな名前を付けたのがいるそうです。

最大  (まっくす)
強運  (らっきー)
晃宙  (ぴかちゅう)

こんな名前を付けられた子供さんはたまったもんじゃありません。
生まれてから大きくなるまでこの名前で呼び続けられるわけですから本当にぴかちゅうになってしまうというものです。 虐待です。
このほかに金さんが100歳になったとき「老後のために貯金する」と言ったという話は知れ渡っていてすべり気味でした。クライマックスにするつもりだったのでしょうが。

2011年10月26日
10月7日機械要素技術展見てきました。10日ほどたって記憶に残っているものです。
(1)3dプリンター インクジェットプリンターの原理で樹脂や石膏で3次元モデルを作るもの。
3dcadに最近ついている3dプリンターというのはこれのことでしょうか。
(2)トヨタケーラム ポータブル3d測定器 片手でもって30cmほど先の物体の3d測定ができるもの。(1)と合わせれば物体のコピーが簡単にできそうですね。
(3)3dcadの傾向 設備のように部品数が増えても重くならないような作戦が感じられました。それに2dデータからの変換操作の簡易化。壮大な流れとしてはicad7のメカ、電気、制御、組立のデータ共有化がありましたね。こうなると効率はあがりそうですが、電気屋さんの過去の歴史をこれ一本に統一可能なのでしょうか。
(4)いまやバリ取り技術はハイテク。複数のロールブラシをテーブル上で回転させる機械が目立ちました。
(5)ロストワックスなどで韓国、台湾のメーカーの台頭あり。
(6)島根県他地方の中小企業もたくさん出ていましたが、もう一つ目立つ工夫がほしいと感じます。素通りが多いですね。お祭りなら呼び物がほしいところです。

2011年10月17日
ようやく涼しくなりましたが、今年の夏も結構暑かった。
弊社の暑さ対策は短パンに上半身裸+扇風機でした。いまどき事務作業としては究極に近いクールビズといったところでしょうか。たまに来客があるとあわててシャツを羽織るというありさまで。腕に汗が出て机に引っ付くのにはまいりました。
しかし、その昔、粘菌で有名な紀州の南方熊楠の夏場の仕事は下半身フリー+上着だったそうですからこれに比べればまだ見栄えはいいのではないかとおもうのです。
世の中には豪傑がいるものです。